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シェッド西成 最新企画
ファションの新世界
大阪市の南に位置する新今宮エリヤ
地下鉄の階段を上がるとアーケードが目に入る
動物園前商店街の入口、懐かし風に足が動き出し人込みの中にいる
なんとも言えない雰囲気を感じながら、横を見ると路地がいくつもあることに気づき
人が一人歩けるような路地に迷い込む、すれ違う人に会釈しながら突き当りを曲がりくねくね
そんな先に東田ろーじの古びた看板がある
今回のイベントの場所である
チャイムも呼び鈴もない、引き戸は開いている
怪しいところではないので安心してくださ
認定NPO法人釜ヶ崎支援機構が運営している
古着屋みたいな 居場所みたいな感じの場です
どうどお入りくださ、一声かけていただければ
だれかいますので、そんな場所である。
プログラムの紹介
支援で頂いた古着(今までは防寒着 着れたらいい)そんなイメージではなく
身につけるモノで日々の生活にスパイスをと思い、生活していくのに身につけるモノで少しでも
足が軽くなるそんなことができたらいいな~と思い、また気分転換 本当の自分が着たいモノ
そんなこともとかで。
「ファションの新世界」
プログラムをつくりました
下記のチラシから申し込みできます
気軽どうど
お待ちしております。
マネキンを使用してのサンプル写真
山王 萩之茶屋界隈で撮影してみました
このようにあなたが着てみたい服をマネキンに着せて街中で撮影いたします
- ファションの新世界を考案した経緯
- 人間社会の形成において 衣食住が必要要件になるとの考えが定説としてあります。
- 現在社会での私の見え方を書きたいと思います。
- 一般論的な見え方は衣食住どれをとっても右肩上がりの経済的成長の渦に巻き込まれ
- そのトレンドからこぼれ落ちないことで必死になっている。そのほころびが見え始め
- 格差社会が見え始めたが、人権的配慮でのカモフラージュで(優しさの勘違い)個人的欲求を
- できるだけ抑え込むようになってきた。
- 現在社会での 孤立 孤独のワードをどのようとらえるか、もちろん上記のことがらだけでのことで説明するのは違うとはおもいますが。関係を探ってみたいと思い書きます。
- 食住に関しては様々な場面で語られ実践されてきていますが、衣に関してどのように語りそれを実践に持っていけるのか私なりの提案をしたいと思い企画いたしました。
- 身体を覆うモノが必要になり、過去をみるとその時々での社会背景 その中での文化的背景によってその時の服装が出来上がっていきました、今の日本での支流な服装ですらほんの少し前からすると考えられない服装であり、それがなんの滑稽もないのです。そのなんお滑稽もないと映る社会をよく観察してみると、私は何かひっかかる違和感を感じてそれが何なのか自分なりに考えみて、今回のような企画をたてました。
- 現在日本ではほぼ無くなった感覚として、ハレとケの文化の喪失に伴い日常生活での衣に関する構えに変化があるように感じます。もちろん昔のハレに代わりハロウィーンとか表面上は騒ぐことで同じに見えることはありますが、それはまったく次元の違う話であると私は思います。それに伝統的なハレの上部だけを残してイベントも次元の違いをかんじます。衣に関してみていくとハレの喪失で自己表現の場が無くなったことで、自己表現をしなくてもいいが浸透していき、個性重視 多様性とか言われるが社会では衣服に関しては一部で自己表現の意識はあるが、なにか社会全体がのべーとした横並びな感じが私の違和感である。この数十年で大量生産 使い捨てな感覚が浸透したのも要因かと思います。
- その結果人々が自己表現することができない、しなくていい しないほうがいいとか、他者との関わりをできるだけ避ける方向にいってように感じてます、それは自己内部での自己とのコミュニケーションも希薄で過ごせるようになり、ある意味気楽な生活である。しかし人はそんな単純ではなく、なにかの出来事で躓くことは多々ある。その時に自己 他者 社会とのコミュニケーションができていないと、脆くも喪失感 無力感が覆いつくして動くこともできなくなる。
- そうならないように日常生活の場面でも意識して自己を保つためのことをする必要があると思います。
- こんなことを考えて「ファションの新世界」を考案してみました。
- なにも特別な奇抜ことをするのではなく、頭で考えてるのではなく、実際に選んで身につけること、自分が保てる服装を模索するなかで自己 他者 社会に対して身構えをしてみてはと思います。
- これにしても一度経験したからといって{はい今から変わりますなんてことはほぼないですよ}でも経験することでスッテップは踏んでいます、そのことが大切です。